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すれちがい通信簿

ソフトに死んでいる

日常生活におけるボケとツッコミのお話

 人間は他者とのコミュニケーションにおいてボケとツッコミを意識的、無意識的を問わず行っている。特に異論は無いと思う。ただ、ボケてツッコむだけのキャッチボールなのだけれど、一部の人には結構重大な問題が存在していると僕は思っている。


 その問題とはボケとツッコミの根幹を成す個人のキャラクターのことである。
キャラ漫才というものがある。(基本的には)ボケが奇天烈なキャラクターを演じていて、そのキャラに則ったボケを展開していくというものである。


 そして、このキャラとボケがズレていては笑いを生み出すことが出来ない。これが日常のボケ・ツッコミにも当てはまると思う。キモオタの成りをした奴がウェイ的人間のボケやツッコミをした所で只々引かれるだけなのである。

 つまり、笑いを生み出すにはその人のキャラクターに合ったボケとツッコミ、所謂芸風の獲得が必要なのだ。


 そうして獲得した先には最重要問題が待っている。芸風の汎用性である。

 せっかく獲得した笑いを生み出せるボケ・ツッコミも汎用性が無ければ他者とのコミュニケーションの役には立たないのだ。


 僕は高校時代におおよその芸風が固まったが、それは内輪でしか通用しない粗悪品であった。よく親しくない人から言われるのが、ツッコミが冷たい、怖い、キツイ等である。僕はこれ以上無くファニーかつ、ユーモラスにツッコんでいるつもりだが他者にはそう受け取られていないのである。
 

 ではどうすれば良いのか?汎用性を獲得するために芸風を変えるしかない。ウェイ的人間の芸風を僕のキャラクターバランスが崩れない程度に取り入れるしかないのだ。
 僕自身明らかに無理をしているし、気恥ずかしさもある。ウェイ的芸風を取れ入れた僕を僕の中のリトル鹿くじらが嘲笑っている。


 自分で生み出したギャップに自我が押し潰されそうだ。どうか一つの単語だけでコミュニケーションさせてくれ。