インターネットへの緩やかな諦念

 World Wide Webシステムが登場して二十数年、かつてインターネットに抱いていた希望みたいなものがどんどん薄れてきている。まあこんなことはずいぶん前から言われてきていることだけどやっと僕自身もそれを実感しつつある。僕よりも上の世代の人達がインターネットの登場に希望を抱いて、諦めていったのがなんとなく分かる。

 昔はインターネットのことをパソコンの中に広がる別世界みたいに思っていて、それがそのまま発展するものだと思っていた。それが今のインターネットは別世界でもなんでもない現実生活を豊かにする1ツールに成り下がってしまっているように見える。

 顔も名前も知らない遠くの人とダイレクトに繋がることの出来るSNSも最近じゃ良くも悪くもリアルの交友関係を補完するものに変わりつつあるような気がする。インターネットの持つ匿名性も身分制という概念が無い世界から無限に人を叩いたり、マウンティングするためのお手軽デフォルト装備と化してしまった。

 ただインターネットの自業自得ってところもあるんだろう。小さいものから大きなものまで匿名性が生んだ事件、問題ってのは星の数ほどあるだろうし。そんなことばっかり目について既存メディアに大々的に報道されるもんだからネットに悪いイメージがつくのは当たり前というか。

 最近じゃ現実での経済格差とか世界的な右傾化の影響なのか以前のネットの殺伐さとは違う嫌な殺伐さも感じる。あと現実に所属してるコミュニティと似たようなコミュニティがネットにも形成されつつあって、多種多様な魔界があちこちに生まれてる。Twitterなんかはその多種多様な魔界から人が集まってきていて、ある意味知らない人と繋がれるハブとして機能しているけど言うまでもなく中身は地獄だし。なんだこれは、ディストピアかよ。

 結局、インターネットは現実世界と大差ない世界になってしまった。現実世界の下部組織になってしまった。でもまあしょうがねえ、しょうがねえよ。所詮は人が作ったもので、人が使ってるんだからさ、こうなるのもむべなるかなだよ。

 だから、もういいのだ。インターネットは新世界になり得なかったけれども、生活は豊かになったんだから。それだけで十分だ。そんなこんなでインターネットへの諦念を受け入れつつ、インターネットの良いところ、要するにエロサイトへと今日も僕は足を運ぶのだ。