ポジティブ腹痛

 腹が痛い。ここ数日経験したこの無い腹部の鈍痛に襲われている。日常生活に支障をきたす程の痛みでは無いもののこんなに同じ腹痛が連日続いたことは人生でも初めで、薄ぼんやりと「もしかしたら何かの病気かもなあ」と思いつつ病院に行くこともなく過ごしている。

 この腹痛で気づいたことがある。子供の頃は自分が何かの病院であると想像するとその先にある死への恐怖で不安になっていた。

 しかし今はどうだ。終わらない腹痛の最中、病気かもしれないと思っているのに心は非常にフラットである。なんだったらむしろ病気でいいと思っている位である。仮に病院に行って医者から治療が困難な重篤な疾患ですと言われた時を想像すると心が落ち着く。

 僕は日々生きてる意味が無いのでさっさと死にたいと思っているのだが頭が悪いので良い方法を見つけられないでいる。一番手っ取り早い自殺を選んだ場合、家族や友達は僕の希死念慮について多少理解してくれているので少しは納得してくれると思う。ただ僕の祖父母をはじめとする親戚一同は非常に真っ当な人達なのでその人達から父や母が責められるかもしれないと思うと申し訳なくて到底自殺なんて出来ない。

 その点、病気は良い。だって仕方ないから。抗うことの出来ない病ならあの人達も納得してくれるだろう。むしろまだ若いのにかわいそうとか思いながら真っ当に悲しむんだろうな。そうなったら痛快だな。ざまあねえぜ。

 こんなことを想像してる間に病院に行くのが怖くなってしまった。今の僕は死にたいけど死ねないの輪廻から脱出出来るかもしれない蜘蛛の糸を掴んでるような状態だがこの糸が外れだったらまたあの虚無に逆戻りである。

 もし医者から「ただのストレスですね。二週間分お薬出しときます」とか言われたら僕はどうしたらいい。それこそストレスである。ストレス溜めて腹痛くなって病院行ってまたストレス溜めるとか別のタイプの輪廻じゃん。

 病院には行かない。この腹痛がどんどんもっとガンガンにヤバくなればいい。そうなることを願いつつ今はこの腹痛を密かに楽しんでいる。

レコードなんて買わなくていい

 私事なんですが数ヶ月前にレコードプレーヤーを買いましてね。まあ音楽好きだし?音楽好きなのにレコードプレーヤー持ってないって状態も昔からコンプレックスだったし。あと僕が好きなテクノとかハウスといった音楽を作っている人達はデータ販売すらせずにアナログオンリーなんてことはザラで、その度にモヤモヤしていたのでいい加減買ってしまえということで購入に至った訳です。

 そんなこんなでちょっと前からレコード盤を少しずつ集めてるんだがレコードって高いわ。中古新品問わず高い。だから僕がレコードを買う場所は専らハードオフブックオフである。

 まあハードオフブックオフに僕の欲しいハウスやテクノのレコードなんてまず無いんだけどその代わりにCDだとほとんど見かけない僕の好きな80年代のアイドルとかニューミュージックが豊富にある。しかも350円とか108円で投げ売られててクソ安い。

 とまあ、まだ期間は短いものの僕がレコードプレーヤーを導入してから良いなと思った部分はこれぐらい。つまり70年代と80年代の邦楽が安い。こんだけ。

 よくレコードは音が良いって言うじゃん?あれは嘘だ。プラシーボ効果だ。いや、嘘やプラシーボじゃないんだろうけどたぶん金がめちゃめちゃかかる。

 僕の今の環境はプレーヤー5万、アンプ5万、ヘッドホン3万という環境なんだけど音質面でレコードに感動したことはない。散々レコードは音が良いと各所で見聞きしていたので初めてレコードで聴いた時は「えっ、別に普通じゃん」と大分拍子抜けした。調べたらレコードでいい音を出すにはプレーヤー10万以上、アンプ10万以上、スピーカー10万以上とかかけないと駄目という記事も見た。あとよく知らんけどカートリッジを変えると音が良くなるらしい。ただそれも余裕で3万超える。

 とにかく、そんだけの大金叩いて「レコードは音が良い(キリッ)」とか言われてもまあそりゃそうだろと。というか同じだけ金かけりゃCDだって良い音するだろと。

 ですので個人的にはレコードなんて買う必要は無いと思います。レコード聴くために環境構築するくらいなら3万のヘッドホンとアンプ買って余った金でCDかデータ音源買った方が良いよマジで。あとレコードプレーヤーってすげえ部屋のスペースとコンセント食うしな。定期的にレコードの掃除をしないといけないし針交換とかベルトドライブ式だとベルト交換もあるしランニングコストも考えると本当金と時間に余裕のある奴の趣味だと思う。

 しかしとんでもないネガキャン記事になってしまった。10万かけてこんなネガ記事書いてるとか自分で自分が信じられない。でも自分を偽ることは出来ない。レコードはコスパが悪い。特に今やSpotifyやAppleMusicが日常になっている僕にとってはかなりのレベルで悪く感じる。

 最後にこの記事読んだ人の中にはもう全部ストリーミングサービスで済ませればいいじゃんと思っている人間がいると思うけどそいつは大間違いだと言っておく。便利極まりないことは確かだが所詮は圧縮音源よ。結局のところ本当に気に入ったものはフィジカルもしくはFLAC以上の音質のデータ音源を買うことを強く勧めます。mp3とFLACの差は正直プラシーボ効果だと思うし僕自身ブラインドテストをされた場合何一つ分からない自信が相当にあるが体感で効果が非常に高いプラシーボなので大丈夫です。

 音楽買うならFLAC以上。ハイ、復唱しなさい、音楽買うならFLAC以上。

 悪口ばっかりでオチが全く思いつかないので本日はこの辺で。

なにもないな

 しばらくブログから離れてしまっていた。書きたいことがなかった訳ではない。ただ、このブログは一応ジョークっぽくファニーな感じに映るように書いてはいるものの、根本的には僕自身の負の感情を具現化したものなので、見る人によっては最近のTwitterのあの薄汚い闇鍋ヘイトみないなもと同種のものに見えるのかもしれないなと思った時に何も書く気がしなくなってしまった。もし何らかの拍子でTwitterからやってきた猫アイコンのイカレポンチに訳の分からん言いがかりをつけられるとか想像するとうんざりする。

 まあそれはさて置き、僕の日々におけるなにもなさについてだ。本当になにもない。全くの虚無である。短期の希望というか楽しみみたいなものはある。毎週見てるテレビ番組とかラジオとか漫画の新刊等と一応あるにはある。でも長期で考えると本当になにもない。今のこの状態が死ぬまで続くのかもしれないと考えると今ここで急に終わっても何の後悔も無いし、なんならウェルカムである。周囲を納得させるだけの終わらせる理由とその終わらせる上手い方法はないかと日々考えているがどうにも思いつかない。同時に人が本能的な部分とは別に結婚して子供を作るのは自分の人生に意味を持たせる一般的で比較的手軽な手法なのかなあとかぼんやり考えていた。

 今まで僕は「何が楽しくて生きてんの?」と聞かれることが多く、その度に死ぬまで生きてるだけと答えてきたけど死ぬまで生きるだけだと人生は長いことに気がついた。今の僕の状態は二枚組のRPGでディスクを入れ替えることなくやることもイベントも起きないディスク1を延々プレイしてるようなものである。

 そろそろディスク2をプレイしたい。でもディスク2が見つからない。失くしてしまったのかもしれないし、最初から無かったのかもしれない。いずれにせよこのままでは今プレイしてるディスク1に飽き飽きして叩き割る日もそう遠くないかもしれない。

 

 なにもない人間によるなにもないブログのなにもない回なので当然オチなんてものはない。

 なにもないな。

僕はこのままでいいのだろうか

 先日、母親へのプレゼントを買うためにワインショップに行った。ただ僕は下戸でお酒のことなど1ミクロンも知らないので店内に入ってワインを眺めたところで何も分からなかった。店自体もなんか薄暗くてお洒落な雰囲気が漂って非常に辛かった。入って5秒で逃げ出したくなった。

 そこで思ったことが一つ、二十余年も生きているのにワインショップで逃げ出したくなるなんておかしいのではないか?ということである。

 逃げ出したくなるのは別にワインショップに限らないのだ。セレクトショップとかも苦手で入ってすぐ踵を返したくなる。あと何にも知らねえしな。ドメブラ?とかの店がどこにあんのかも知らんし、古着屋なんぞ知るはずもない。カフェもチェーン店以外知らねえし、そもそもコーヒー嫌いだからカフェにも入りたくない。酒飲めないからバーも一軒も知らん。とにかく所謂大人なら知ってそうな店とか物事を一切知らんのだ。よく男の精神年齢は中二で止まるというが本当に中身が中二のまま年齢を重ねてしまった。

 今までは僕がそういうのが苦手で興味も無いので別に知らなくてもいいと思ってた。そっちへの関心がゼロの代わりに音楽とか漫画を普通の人よりちょっと詳しい、そういう人間なのだと思っていた。

 でもそうじゃない気がしてきた。当たり前だけどこれらの知識とか経験は別にトレードオフじゃない。漫画が好きな人でワインにめっちゃ詳しい人とか行きつけのカフェがある人なんて幾らでもいる。っていうかたぶんそれが普通なんだと思う。

 やべーよ。マジで本当に何も知らんぞ。ファッション雑誌とか読んだ方がいいのかな。POPEYEとかブルータスとかノンノとかでいいのか?ほらな、何も知らんから何を読めばいいのかも分からん。でも美容室行った時にいっつもノンノ渡されるけど超つまんないぞ。ああいう雑誌って終盤に載ってる芸人とかプロレスラーの連載が一番面白いよ。真壁刀義のスイーツエッセイで埋め尽くせ。

 あと載ってる服も高いし。そう、たけえ。Tシャツ一万、シャツは二万、パンツ三万、アウター十万とかマジで言ってんの?正気か?そんな金ねえよ。ただでさえ国から二千万円貯めとけって言われてんのに布っきれにそんな大金かけられねえだろ。二千万貯めようと思ったらそんな諭吉十人以上する服なんて買う余裕ねえだろ。ねえよな?みんなあんの?うわっ…私の年収、低すぎ…? 

 とまあ、ここまで嗜好とか、カルチャーとか、はたまた国のせいにしてきたけど実は分かってんのよ。単純な理由よ。そう、僕がただの不出来で周回遅れの人間ってだけなんだよ。でもこんなこと自ら言いたくないじゃない。悲しいじゃない。こんなの精神的自害以外の何物でもないよ。大人は自分の非を認めることが出来るらしいけどやっぱり大人は凄いな。今これを書くことで自分の非を言語化してる訳だけど苦痛で仕方ねえよ。

 という訳で今回は僕が不出来で周回遅れの駄目人間であることの裏付けがきっちり取れました。もうこれ以上は気持ち悪くてゲボ吐きそうなのでキーボード打ちたくない。

 辛い、クレープを食べて癒やされたい。ママー!クレープ食べたい!ママー!クレープ買ってきてー!

犬が嫌いで猫が好き(ワンコロ撲滅委員会所属)

 見栄を張りました。嫌いじゃなくて怖いです。思い返せば幼少期に親戚の飼っていたゴールデンレトリバーに公園で追っかけ回されたのがすべての元凶だろう。

 今でもあの時のことは鮮明に覚えている。周りの大人達は「遊びたくて追いかけてるんだよー」等と言っていたが当の本人である僕はマジで死の恐怖を感じていた。自分と同じ位デカい四足歩行の牙を持った獣に追いかけ回されて死を意識しない方がおかしいだろ。

 次に覚えてるのは小学四年生の頃、友達の家に遊びに行ったらクソデカいドーベルマンがいてそこら中にウンコしたり吠えまくったりと大暴れでマジで怖かった。そりゃそうだろ。あんな黒光りした筋肉質の獣、怖いに決まってるわ。おまけに顔面まで厳ついし。

 ただまあその犬への恐怖も中高生の時は表に出さずに過ごしていた。何故なら犬が怖いとかダサいじゃん?思春期の男は周りに女子がいるとこういう無駄な見栄を張りたくなるのだ。同じような理由で中高生の頃は虫にも強く出ていた。今は凄く怖い。普通に「ヒャア」とか「ツォイ」みたいな声が出る。

 そんでもってなんで大人になってまた犬や虫にビビりだしたのかと言うと、単純に見栄よりも恐怖が打ち勝ち出したってのもあるけど一番の原因はチワワに足首を噛まれたから。

 ある暑い夏の日のことだった。僕は友達とテニスをするべく近所のテニスコートのある公園に行ったんだけど、そこでアホなカップルがチワワを放し飼いにしててな。自転車を降りた俺にチワワが一直線に向かってくるのよ。その時は「ああ、これ俺の周りをグルグル回るパターンだな」とか呑気に考えてたんだけど現実は違った。ノータイムでガブーよ。幸いにもテニスをするために厚手のソックスを履いてたから怪我はしなかったんだけどさ。凄い心臓がバクバクしてた。今にしてみれば噛まれた瞬間に反射で蹴り飛ばせば良かったと後悔しているが当時はショックで放心状態だった。ただ、次同じようなことがあったら迷い無く蹴る。何故なら人間は学習する生き物なので。ちなみにチワワは僕を噛んだら速攻で飼い主の元に去っていた。そう、ヒットアンドアウェイだよ。小型犬だからな、自分の力量をしっかり把握していたんだろう。腹立たしい。一応飼い主のアホカップルは猛烈な勢いで謝ってきたけど今にしてみれば金をせしめれば良かったと思っている。次はそうする。

 そこのお前、長々と書いた割にはショボい理由だと思ったろ。でも人の抱える痛みはその人にしか分からないんだぜ。事実、チワワに噛まれて以降は道でババアが散歩させてる犬が少しこっちに寄ってきただけで体がビクつくようになったからな。立派な心的外傷後ストレス障害だよ。

 とまあ、そんな訳で犬が嫌いで猫が好きなのだ。見た目も猫の方が圧倒的に愛くるしいしな。もちろん猫も飼ってたら噛んだり引っ掻いたりするんだろうけど飼ったことないし、今までに外で会った猫から被害にあったこともないのでモーマンタイ。ニャンコ最高。

 ただそんな猫が大好きな僕にも一つ問題があってな。

 

 

 

 僕、猫アレルギーやねん。

 その昔、従兄弟の家に行って猫を可愛がったら止まらないくしゃみと蕁麻疹に苦しんで号泣しながら帰った話はまた今度。バイチャ。

新しい音楽とかしんどい

 ストリーミングサービスは神。けれどもそれを使う僕はゴミ。

 ストリーミングサービスは毎日新しい音楽が配信されているけど、それをクリックする気力が無い。Twitterでの評判を見る限りトロイモアの新譜は良いらしい。クリックする気力は湧かない。

 ストリーミングサービスのおかげで新譜をいくらでも好きなように聴けるようになったものの、その全てが当たりって訳じゃない。当然外れもある。というか外れの方が多い。人間一人の好みにあった音楽なんて地球にある全ての音楽の内の1%にも満たないだろう。その、普通にガチャを引けば1%にも満たないであろうものになんとか出会い易くするためにジャンルで分類分けしてあったり、利用データからおすすめを引っ張ってきてくれたりと各種サービスも色んな機能を用意してくれているがそれでもガチャ感は否めない。

 僕は新しい音楽聴く時はちゃんと聴こうとして聴き流しにならないようにヘッドホン着けてちょっと音楽に集中するんですよね。で、その状態が長く続くと徐々に耳と体が疲れてくるんですよ。よくYouTubeの関連動画から色んな音楽を聴くけどやっぱり当たりは少ない、そんで二時間とか三時間かけてガチャ引き続けて当たりが0で、オマケに疲弊してるって最悪でしょ。

 そんな感じで膨大な数の音楽から当たりを探すのに疲れて今やガチャを引くこと自体にも気力を失いつつある。ぶっちゃけある程度評価の定まった過去の名盤なんかを聴くほうがずっと楽だ。過去の音楽にも知らないものは山ほどあるし、ハズレを引く確率もそこまで高くない、名盤とされてるものならとりあえず聴いてみるかと多少は気力も湧いてくる。

 だから個人の年間ベストが「各音楽メディアで平均点が高かったものセレクト」みたいなのとか「とりあえず一定数の人達から褒められてて話題になったものセレクト」になるのも分かる。だって同じガチャでも中身が選別してあるハズレ無しガチャの方が圧倒的に楽だし、何より無駄がないよ。

 あとぶっちゃけ発売した次の年も聴くアルバムってほとんど無いんですよ。大体のアルバムの賞味期限は一年で、その後もずっと定期的に聴くアルバムは滅多に無い。あっても年に三枚くらい。だから新譜のCDなんてほとんど買わなくなった。

 ただそれでも今の所はまだ「聴いてみなくちゃわからないやん」というお気持ちがそれなりに強いのでなんとか向き合えている。しかしこれは明らかに消耗戦だと思われるので数年後どうなっているのかは分からん。よくジジイが新しいものと向き合うのにはエネルギーがいるとか言うがその気持ちがちょっと分かりつつある、確実にジジイになりつつある。

 あとそんなに音楽が好きじゃないという思いにも根拠が出てきている。何故ならスケベな動画はピッチフォークが取り上げなくともひたすらディグれるのだから。

インターネットへの緩やかな諦念

 World Wide Webシステムが登場して二十数年、かつてインターネットに抱いていた希望みたいなものがどんどん薄れてきている。まあこんなことはずいぶん前から言われてきていることだけどやっと僕自身もそれを実感しつつある。僕よりも上の世代の人達がインターネットの登場に希望を抱いて、諦めていったのがなんとなく分かる。

 昔はインターネットのことをパソコンの中に広がる別世界みたいに思っていて、それがそのまま発展するものだと思っていた。それが今のインターネットは別世界でもなんでもない現実生活を豊かにする1ツールに成り下がってしまっているように見える。

 顔も名前も知らない遠くの人とダイレクトに繋がることの出来るSNSも最近じゃ良くも悪くもリアルの交友関係を補完するものに変わりつつあるような気がする。インターネットの持つ匿名性も身分制という概念が無い世界から無限に人を叩いたり、マウンティングするためのお手軽デフォルト装備と化してしまった。

 ただインターネットの自業自得ってところもあるんだろう。小さいものから大きなものまで匿名性が生んだ事件、問題ってのは星の数ほどあるだろうし。そんなことばっかり目について既存メディアに大々的に報道されるもんだからネットに悪いイメージがつくのは当たり前というか。

 最近じゃ現実での経済格差とか世界的な右傾化の影響なのか以前のネットの殺伐さとは違う嫌な殺伐さも感じる。あと現実に所属してるコミュニティと似たようなコミュニティがネットにも形成されつつあって、多種多様な魔界があちこちに生まれてる。Twitterなんかはその多種多様な魔界から人が集まってきていて、ある意味知らない人と繋がれるハブとして機能しているけど言うまでもなく中身は地獄だし。なんだこれは、ディストピアかよ。

 結局、インターネットは現実世界と大差ない世界になってしまった。現実世界の下部組織になってしまった。でもまあしょうがねえ、しょうがねえよ。所詮は人が作ったもので、人が使ってるんだからさ、こうなるのもむべなるかなだよ。

 だから、もういいのだ。インターネットは新世界になり得なかったけれども、生活は豊かになったんだから。それだけで十分だ。そんなこんなでインターネットへの諦念を受け入れつつ、インターネットの良いところ、要するにエロサイトへと今日も僕は足を運ぶのだ。